この文章を読んでから、自分の意見を書きます
「もっと働きたい人まで、法律が止める必要はない」。働く時間の上限を、本人が望むなら緩めてよいという主張は、こう聞くと筋が通って見えます。2025年秋以降、政府は「心身の健康維持と従業者の選択」を前提に労働時間規制の緩和を検討しており、この考え方が議論の土台になっています。それでも私は、上限を本人の希望で緩める仕組みには反対です。
まず、「望む人」が誰なのかを見ておく必要があります。東京大学社会科学研究所が同じ人を毎年追跡しているパネル調査の2026年の結果では、今の労働時間を「長くしたい」と答えた就業者は男性で3%、女性で6%にすぎません。半数以上は「今のままでよい」と答え、男性の4割、女性の3割は「短くしたい」と答えています。しかも、長くしたい人には偏りがあります。正規雇用では1〜2%なのに、非正規雇用では男女とも12〜13%に上り、個人年収が75万円未満の層では男性18%、女性17%に達します。長く働きたいのは、働くのが好きな人というより、今の収入では足りない人なのです。
ここで、稼ぎたい人の自由を奪うなという反論が出ます。確かに、上限は稼ぐ手段を一つ狭めます。ただ、その「自由」を望む人がこれほど少なく、しかも収入の低い層に集中しているなら、それは自由に選んだ結果というより、選ばざるを得ない状況の表れと読むべきです。足りない収入を残業で埋めさせるのではなく、賃金の水準そのものを引き上げて応えるのが本筋でしょう。
裁量労働や副業のように、時間で縛るのがなじまない働き方が増えているという指摘もあります。働き方が多様になったのは事実です。とはいえ、体は契約の形を区別しません。労災の認定基準では、発症前の2〜6か月にわたって月おおむね80時間を超える残業があれば、脳や心臓の病気と仕事の関係が強いとみなされます。裁量があるからといって、この時間を超えても倒れないわけではありません。
人手不足の中で経済を伸ばすには働く量が要る、という声も根強くあります。けれども、疲れ切った人を長く働かせて増えるのは労働時間であって、成果ではありません。成長に必要なのは一人あたりの生産性であり、それを削るのが過労です。
上限は、働きたい人の手足を縛るためにあるのではありません。「望めば緩めてよい」という条件を置いたとき、実際に望むよう仕向けられるのは、断る力の弱い人です。本人の希望という言葉で線を動かせるようにすれば、線は守られなくなります。働く時間の上限は、断れない人が断らずに済むための線として、動かさずに置いておくべきです。
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