主張を伝える 学習

古典の名作は、現代語訳で読んでも十分か?

課題文

この文章を読んでから、自分の意見を書きます

古典の名作は、原文で読まなければ本当の価値は分からないと言われることがある。
文のリズムや、今は使われない言葉の響きこそが作品の命であり、現代語訳はその影にすぎない、という考えだ。
私は、そうは考えない。
古典は現代語訳で読んで十分であり、まず訳から入ってよい。

理由の一つ目は、古典を読む目的の多くが、物語や思想の中身に触れることにあるからだ。
源氏物語を原文で最後まで読み通せる人は、専門家を除けば多くないだろう。
文法に手間取って途中でやめるより、訳で最後まで読み、登場人物の心の動きを味わうほうが、作品から得るものは大きい。

二つ目に、現代語訳そのものが、すぐれた読解の成果だからだ。
与謝野晶子は明治の終わりから大正の初めにかけて源氏物語を訳し、のちに全面的に訳し直した。
谷崎潤一郎も、生涯に三度この物語の訳に取り組んでいる。
訳は原文を薄めたものではなく、一流の書き手が作品と格闘した記録である。
訳者によって同じ場面の印象が変わると知れば、読み比べるという楽しみも生まれる。

もっとも、言葉の響きが失われるという指摘には一理ある。
和歌の掛詞のように、訳すと仕掛けが見えなくなる表現は確かにある。
けれど、それは原文に進む理由にはなっても、訳で読むことを否定する理由にはならない。
訳で筋と人物をつかんだ人ほど、気に入った場面を原文で確かめたくなるものだ。

入口を狭めれば、古典は一部の人だけが読むものになっていく。
訳から入ることを、後ろめたく思う必要はない。
現代語訳で読むことは、古典を今の読者に手渡すための正当な読み方である。

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