主張を伝える 政治経済

罪の重さの線引きは、数値で明確に決めるべきか?

課題文

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2026年6月25日、危険運転致死傷罪を見直す改正法が、国会で全会一致により成立した。飲酒や高速度による悪質な運転の処罰に、初めて具体的な数値基準が入った。高速度については、最高速度が時速60キロ以下の道路では50キロ以上の超過、60キロを超える道路では60キロ以上の超過。飲酒については、呼気1リットルあたり0.5ミリグラム以上のアルコール濃度。これらに当てはまる運転で人を死傷させれば、危険運転として処罰される。

この改正を、私は正しい方向への大きな一歩だと考える。

危険運転致死傷罪は、飲酒運転による悲惨な事故をきっかけに、遺族らの声を受けて2001年に生まれた罪である。だが、その要件は「正常な運転が困難な状態」「制御することが困難な高速度」といった抽象的な言葉で書かれていた。どこからが「困難」なのかは、裁判のたびに争われた。時速190キロを超えるような暴走でも、直線道路では車を制御できていたとして、より軽い過失運転の罪が主張される。遺族は、家族を奪われた悲しみの中で、「なぜこれが危険運転ではないのか」という制度への不信まで背負わされてきた。条文の曖昧さが、裁判を長引かせ、被害者と加害者の双方を疲弊させてきたのである。

数値基準への反対論は、主に2つある。ひとつは、「基準のすぐ内側」が事実上の免罪符になるという懸念だ。50キロ超過が危険運転なら、49キロ超過は安全なのか。この懸念は、改正の中身を誤解している。数値基準は危険運転の適用を数値未満で打ち切る仕組みではなく、数値以上なら争いなく適用される「確実な線」を引く仕組みである。数値に届かない事案には、従来どおり個別の判断が残されている。もうひとつの反対論は、司法の柔軟さが失われるというものだ。しかし、柔軟さとは、市民から見れば予測のつかなさでもある。どんな運転が最も重い罪に当たるのかを、事前に誰もが知りうる形で示すことは、処罰の公平の土台であり、そもそも刑罰法規の原則に適う。

1キロ、0.01ミリグラムの差で扱いが変わることを、冷たいと感じる人もいるだろう。だが、曖昧な言葉の解釈に委ねられた「温かい」裁量は、その時々の裁判官により、同じ行為に違う答えを出してきた。線の位置には議論の余地があっても、線を引くこと自体は正義の要請である。明確な線は、線を越えようとする者への警告となり、裁く者の恣意を縛り、遺された者の納得の足場となる。罪の重さの線引きは、可能な限り、誰にでも見える形で書かれるべきだ。

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