この文章を読んでから、自分の意見を書きます
無実の人が刑務所に入れられたまま、何十年も過ごす。
そうした事態を正すために、日本には再審という仕組みがある。
確定した有罪判決をやり直す制度だ。
だが、この制度は長く動かなかった。
裁判所が再審を認める決定を出しても、検察官が不服を申し立てれば審理は振り出しに戻る。
やり直しの入口に立つだけで十年、二十年が費やされ、本人が高齢になってから無罪が確定した例がある。
2026年7月、この手続きが1948年の法制定以来はじめて改められた。
再審を開始する決定に対する検察官の不服申し立ては原則として禁じられた。
裁判所が検察官に証拠の提出を命じる制度も新設された。
確定判決に関わった裁判官が、その事件の再審の審理から外れることも定められた。
いずれも、これまで運用任せだった部分に規律を持ち込むものである。
ただし、改正は十分ではない。
証拠の提出を命じられるのは、裁判所が相当と認めるときに限られている。
どの証拠が手元にあるかを知っているのは検察官だけだ。
中身の分からないものについて、裁判所が的確に命じられる保証はない。
日本弁護士連合会の会長声明も、検察官の裁量に委ねる部分を多く残していると指摘している。
確定した判決の重みを軽んじるべきではない、という反論はある。
判決が何度でも覆るなら裁判はいつまでも終わらず、被害者は落ち着く場所を失う。
時間が経てば関係者の記憶も薄れ、真相はかえって遠のく。
これらはもっともな指摘である。
ただ、再審が認められるのは、有罪の判断を揺るがす新しい証拠が現れた場合に限られている。
入口は今も狭く、証拠の開示が進んだからといって誰でもやり直せるようになるわけではない。
広がるのは、無実を示す材料を持ちながらそれを見せてもらえなかった人の道である。
証拠は捜査機関が集めたものであって、検察官の持ち物ではない。
有罪を導いた証拠だけが法廷に出され、本人に有利な証拠が手元に残されたままであれば、裁判の前提が崩れる。
裁判が間違うことはある。
であれば、間違いを認めて直す道まで細くしておく理由はない。
証拠の開示は、裁判所の裁量ではなく原則としての義務にすべきである。
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